おいしい空気

私は人に料理を作る時、おおまかなメニューを決めていても、顔を見てから必ず「今日はどんな感じ?」と聞くようにしていて。
そこからいろいろなニュアンスを読み取って、相手の為に細かなアレンジをするんです。

 

例えば、おにぎりという単純な料理を作る時でも、いつでも同じものではなく、
「そうそう、こんなおにぎりが食べたかった!」
と、おいしさとうれしさを感じてくれるようなものにしたい。

 

運転中に食べるおにぎりだったら食べやすいように小さく握る、
運動した後に食べるならいつもより少し塩をきかせておく、
子供と一緒に食べる時はふりかけを混ぜて楽しく食べられるように・・・。

 

おにぎり一つとっても、その人、そのシチュエーションに合わせた「おいしい空気」を作るための工夫があるんですよね。
そうやって相手の声を聞いて察することが、何よりも「もてなし」に成り得るのです。

 

愛情と思いやりの心を持てる余裕がないと、相手が食べたいものを感じ取ることはできません。
そんな余裕があるくらい、作る側の心や体のコンディションが整っていないと、おいしい空気は生み出されないのかもしれません。
料理は人の手から生み出されていくものですから、不思議と作る人の空気を写し出してしまうんですよね。
だからこそ、穏やかな気持ちで手をかけて、愛情のこもった料理を作りたいものです。

 

食べるということは、世界共通のコミュニケーションツール。
言葉が通じなくても、食べることで理解し合えることがたくさんあります。

 

いろいろな国の料理を食べてみて感じるのは、国によって、文化や嗜好、主義の違いはいろいろあるかもしれないけど、家庭料理って国を超えても概念はそんなに大きく変わりません。
もちろん、主食が違ったり調理の仕方やスパイスの使い方が変わったりと、日本とは全然違うポイントもあったりするんですが、「なるほど、そうなんだ」と理解できる範囲のこと。
違いを受け入れて理解することができる範囲だと思うんですね。

 

海外で日本の料理を口にする時も、例えば日本の寿司が「SUSHI」になって独特なアレンジをして食べられている。
でもそれも、背景や認識の違いとして一つの引き出しとして受け入れられる範囲のことだと思うんです。
下肢かに母国の寿司とは違うものになってしまったかもしれないけれど、何も固執する必要はない。
食文化も、食事法というスタイルも、いろいろあっていいんです。
自分の感性を無視してそのまま食生活に当てはめるのではなく、もっと柔軟に捉えて引き出しにすればいい。

 

そして、自分がおいしいと感じるものをおいしい空気の中で食べればいいと思うんです。
その一つひとつのかけがえのない食事が、私たちの暮らしを築いていくんですから。